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2022.06.24

「ラジオを聴いている人、全員がラジオ好き」森三中・黒沢かずこが語るラジオとの歩み、ラジオ好きの定義 “スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーン インタビュー

「Takara Leben Group presents 民放ラジオ99局“スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーン WE LOVE RADIO松任谷由実 50th ANNIVERSARY~日本中、ユーミンに包まれたなら~」。

ラジオをスピーカーで楽しむライフスタイルを提案していく本キャンペーンでは、豊かなラジオ体験を持つ著名人にインタビュー。今回はラジオ愛あふれる発言で注目を集めているお笑い芸人、森三中・黒沢かずこさん。ラジオとの出会いやコロナ禍で変わったラジオとの関わり、「ラジオ好き」について思うことを聞きました。

地元のラジオ番組にドハマリした少女時代

――幼い頃からラジオは身近にあったのでしょうか。

黒沢:小学生の頃、同じ部屋で寝ていた母が寝る前にずっとラジオをつけていたんですよ。一緒に同じ番組を会話もせずに無言で聴き入っていました(笑)。母は私が上京して芸人になってからも深夜ラジオを聴き続けていて、ニッポン放送『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』をリアタイ(リアルタイム聴取)で聴いていたんです。「くりぃむさんのオールナイトでかっちゃん(私)の話をしてくれてたよ」と母から聴きました。そういえば、父も車の中でラジオを聴いていましたね。

――ラジオ好きのご家族の中で育ったんですね。地元のラジオは聴いていましたか。

黒沢:現在のLuckyFM茨城放送ですね。私のラジオのはじまりは“阿部ちゃん”なんです。“阿部ちゃん”はLuckyFM茨城放送のアナウンサーで、現在は代表取締役社長をされている阿部重典さん。小学生の頃、阿部ちゃんの番組をよく聴いていました。きちんとしながらも、ユーモアもある阿部ちゃん。「背が高くてシュッとしてるのかな」とか顔を想像しながらラジオに耳を傾けていました。あるとき、水戸でラジオの中継している阿部ちゃんを見かけたんですが、私の想像と少し違っていて…(笑)その時、ラジオってギャップが生まれるものなんだということを学びました。

ニッポン放送、TBSラジオで深夜ラジオの虜に

――学生時代はどんな番組を聴いていましたか。

黒沢:茨城放送からニッポン放送を聴くようになって、『三宅裕司のヤングパラダイス』『内海ゆたおの夜はドッカーン!』『伊集院光のOh!デカナイト』『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』。今も聴いている『ナインティナインのオールナイトニッポン』は月曜2部の頃からリアタイで聴いていましたね。

TBSラジオは『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』。岸谷さんが映画『月はどっちに出ている』でブレイクしたときにリスナー的にはさみしい部分もあるし、うれしい部分もある…そんな複雑な気分を味わいました。岸谷さんが多忙になって、「レディクラ」(月曜~金曜 放送)が金曜日だけ今田耕司さんと東野幸治さんが担当するようになったんです。同じくらいの時期に文化放送で『Come on FUNKY Lips!』がやっていて1週間に2回、今田さん&東野さんのラジオを聴いていました。

関東にいながら関西のお笑い情報を入手

――茨城から大阪の番組も聴いていたそうですね。

黒沢:今田さん&東野さんのMBSラジオ『MBSヤングタウン』が聴きたくて、深夜に茨城から大阪の番組に周波数を合わせていました。それからMBSラジオ『ヤンタンあそびのWA‼』のベイブルースさんも聴くようになったんです。ベイブルースさんの「ヤンタン」を聴いて、生で聴く関西弁のトークはおもしろいと思いましたね。

当時茨城では関西のテレビを見ることができなかったので、ラジオや吉本興業の月刊誌「マンスリーよしもと」でしか関西のお笑い情報を知ることができなかったんです。関東で関西の情報を生で聴いていることに特別感がありました。

――ますだおかださんの番組も聴いていたそうですね。

黒沢:『ヤンタンあそびのWA‼』で、ますだおかださんがパーソナリティを担当していたことがあったんです。15歳のときにテレビで見たますおかさんの漫才がめちゃくちゃおもしろくて、その感想をラジオ番組宛に送りました。そうしたら、増田さんが返事をくれたんですよ。将来お笑いがやりたいと書き添えたら、「僕らもかずこさんがお笑いの世界にくるときまでがんばります」と書いてくださっていて。後日増田さんに直接この話をすることができたときはうれしかったです。

何か作業をしながら聴けるのがラジオのいいところ

――続いて、今の黒沢さんのラジオライフについて伺います。ラジオはどんなシチュエーションで聴いているのでしょうか。

黒沢:掃除をしながらとか、何か作業をしながら聴けるのがラジオのいいところですよね。お風呂の中でも聴いたりしています。ラジオの声は布団の中で目を閉じたままうつぶせになっても聴こえる。ラジオってなんだかとっても近くにいてくれるような気がします。

少しラジオを聴くことから離れていた時期もあったんですが、久々に聴くようになって、お昼や夕方の帯番組を聴くことが増えました。たとえばTOKYO FM『Skyrocket Company』。「スカロケ」がすごいなと思うのはいつ聴いても番組のトーンが変わらず、いつでも迎え入れてくれるところ。何日間か聴き逃したり、時間があいたとしてもいつでも帰ってきていいよ、みたいな雰囲気があるんです。

それとbayfm『miracle!!』のANNAさんが言った「私は明日もここにいます」がとても印象に残っていて…。この言葉って落ち込んでいる方、なかなか外に行けない方とかにとってはすごくうれしいと思うんです。一時離れても変わらない、毎日聴かなくてもたまたま居合わせたときにそこにいてくれる。そういう場所が帯番組で生活の中に必要なコンテンツだと思いますね。

コロナ禍でラジオの居心地の良さを再確認

――コロナ禍になってから、ラジオを聴く機会が増えたそうですね。

黒沢:コロナ禍になり、毎日の感染人数がテレビで発表されるなか、自分がそのなかのひとりになってしまって、テレビを見ることが怖くなった時期がありました。そんなとき、ラジオが居心地がよい場所に思えたんです。

2020年にコロナに感染し、療養先の病院から退院したその日に笑福亭鶴瓶さんのニッポン放送『日曜日のそれ』を聴きました。ちょうど鶴瓶さんが番組で「コロナになった人は謝らんでもええから」みたいな話をしていたんですよ。一瞬、「黒沢も」って名前を出してくださって。それがすごくうれしかったんです。

鶴瓶さんは日曜日にニッポン放送の番組に加えて、MBSラジオ『ヤングタウン日曜日』のパーソナリティも担当しているんです。その日、鶴瓶さんの声をこのあとのMBSラジオでも聴きたいと思って日本全国の番組が聴けるradikoのラジコプレミアムを利用し始めました。たぶん鶴瓶さんのレギュラー番組のなかでいちばん鶴瓶さんの人間性がわかるのがこのラジオだと思います。

radikoのタイムフリー機能でラジオチェックがラクに

――ラジオはリアタイにこだわっていた黒沢さんですが、気持ちに変化があったとか。

黒沢:昔からラジオはリアタイが好きでした。生放送で同じ時間を共有できるっていうのはすごく素晴らしいことだと思うんです。パーソナリティと一緒に時間を過ごしているような気がして。世の中から置いてかれてない、ひとりじゃないぞという感じもしていたんです。

今までどんなに翌日の仕事が早くてもナイナイさんのオールナイトを聴いてから行けていたんですが、体力的にできなくなってきて。でも、どうしてもナイナイさんのオープニング、今週のインパクトが聴きたいなと思ってradikoのタイムフリー機能を使い始めました。ずっとリアタイにこだわっていたんですが、タイムフリーを使ったらめちゃくちゃラクで。radikoってこんなに便利だったのかと(笑)それから聴く番組も増えましたね。

「ビバリー昼ズ」で東京の笑いの歴史を学びたい

――この春からニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』火曜日のアシスタントに就任されました。

黒沢:「ビバリー昼ズ」のみなさんが作られた歴史の中にお邪魔して、東京の笑いの歴史などを学んでいこうと思っています。73歳になっても今のエンタメを現役で見続けて、誰よりも元気でしゃべっている高田文夫さん。高田先生のラジオを聴けるこの時代に生まれてよかったと思いました。くだらないこと、ためにならないことを発信してもいい場所が「ビバリー昼ズ」。高田先生のしゃべりがリスナーのみなさんの生きる糧になっていると思うと感動しますね。

何番組も聴いているからといって「ラジオ好き」にはならない

――黒沢さんは「ラジオ好き」と言われることに対して思うところがあるようですね。

黒沢:最近「ラジオ好き」とか言われますけど…ラジオを聴いている人、全員が「ラジオ好き」だと思うんです。わざわざスイッチをつけて聴いているわけですから。それと、何番組も聴いているからといって「ラジオ好き」にはならないと思うし、その数を競う必要もない。本当に好きな番組がひとつあったらいいんじゃないかなと。

何番組も聴くことより、自分にとって居心地のよい場所を作ってくれるパーソナリティを見つけることが大切です。私にとってラジオは生活の一部。日々の生活の中でふと生まれた隙間を埋めてくれる、元気をくれるサプリメントのようなコンテンツだと思いますね。私は全然ラジオには詳しくないです。まったく聴かない人よりは知ってますけど(笑)